まず初めに断わっておくが、このブログは一般社団法人ちろるとは一切関係がない。関係がないならこのブログに掲載するなよ、というお叱りの声もあると思うが、モモちゃんが天国へ旅立ってしまったことの喪失とそこから立ち直るために、日記をしたためるように、自分自身へのグリーフケアのために綴ることにする。
6月8日、自宅近くの道路を車で走っていると、車道に異物を発見した。大きな石のようにも見えたし、もしかしたら動物が轢かれているのかもしれない。徐行しながら脇をそっと通り過ぎたら、その異物はもぞもぞと動き出した。しかし車道から逃げるわけでもないその異物は、そのままにしていたら車に轢かれてしまうかもしれない。とりあえず近くにあったコンビニエンスストアの駐車場に車を停めて、その異物の確保に向かった。特に外傷があるわけでもない。ただドングリのようなつぶらな瞳をしたその異物はされるがままに私の両手の中でポカンとした顔をしていた。
それがモモちゃんとの出会いだった。
外傷はなくてもどこか怪我をしているかもしれないので、とりあえず自宅の玄関に段ボールでモモちゃんハウスを急造でこしらえた。何を食べるのかも分からないので、とりあえず水を小皿に入れて置いておいた。モモちゃんはしばらく段ボールから出てこなかったが、夜9時過ぎ頃に段ボールから出て来て、水を飲んだり、靴の上に可愛らしい排泄物を残したりしていた。この頃のモモちゃんは非常にシャイで、水を飲んだり、排泄物をしている姿を直接見たわけではない。翌朝になると小皿の水が減っているからモモちゃんが飲んだのだろう、靴の上に黒く小さな排泄物があるからモモちゃんの仕業だろうという想像に過ぎない。
人間にとって水分は必要不可欠だが、それだけでは生きれないように、モモちゃんも水分だけでは生きることは出来ない。元気になることも出来ない。そこでペットショップでモモちゃんに似た生き物の固形物の食事とゼリーを数種類買って来て、水の小皿の隣りに置いておいた。翌朝になるとゼリーはきれいになくなっていたが、固形物はあたりに散らばってはいたが、食べた形跡がない。ゼリーにも好き嫌いがあるようで、あるゼリーは食べるが、別のゼリーだと全く手を付けていない。
朝になって玄関の扉を開けて、モモちゃんがちゃんと食事をしたのかどうかを確認するのが日課になった。日課と言えば、モモちゃんが夜の間に玄関や棚にこっそりとしている排泄物を掃除するのも日課になった。更にはモモちゃんが元気になって自然に帰る時に困らないように夕方外で行う、自然に帰るためのリハビリも日課になった。
夕方、モモちゃんにリハビリやるよ、と声をかけてモモちゃんの住まいから連れ出そうとすると、モモちゃんは決まってイヤイヤをするような鳴き声を上げて、尻尾で顔を隠した。そんなモモちゃんを両手にそっと載せて外に連れ出すと、辺りをキョロキョロと見渡し、決まって同じルートを通りながら玄関前までチョコチョコと進んでいき、そこで大きい方の排泄物を出した。そこから家の周りを壁沿いに進みながら途中で小の排泄物を出した。それからはかくれんぼをするようにパイプの中に入っていこうとした。実際にパイプに入ってしまい、モモちゃんを脱出させるのにパイプを地面に地面から直角にして振っていたら、下から落ちるのではなくて、上から顔をひょっこりと出したこともあった。パイプの中で付いたであろうゴミが顔についているのを取るのをつぶらな瞳で見ていたこともあった。
そんな日々を過ごしながらモモちゃんは家族の一員になっていった。出かける時には段ボールに入っているモモちゃんへ行ってきますの言葉をかけるようにもなっていった。いたずら心とモモちゃんの姿を見たくてこっそりと段ボールの蓋を開けたら、モモちゃんがいない時があった。その時には玄関中をそれこそくまなく探して、絶対にモモちゃんが自分では開けないであろう玄関の収納スペースの扉の中まで捜索した。いよいよモモちゃんがいないと途方に暮れて、玄関にたまたま置いてあったサツマイモを入れている段ボールを開けたら、その隅にモモちゃんが隠れていた。辺りにはモモちゃんが齧ったサツマイモが散乱していた。その時からモモちゃんの食事は主食がサツマイモ、補助食としてゼリー、そして水分と決まった。
食事が決まったところで、モモちゃんの住まいも急造の段ボールから、靴を買う時に靴が入っている箱がたまたまあったので、その蓋の一部を切って出入りが出来るようにして、その中に小さなサツマイモを何個か入れて、衣食住を、いやモモちゃんは衣はないので食住が出来るようにした。日中はその中でジッとしており、夜9時過ぎになると動き出す。リビングでテレビを見ている時、ゲームをしている時、玄関からモモちゃんの動いている音がすると、テレビやゲームの音を小さくしてモモちゃんが出す音に耳を澄ませた。玄関が暗すぎないように月に見えるライトを設置して、少しでも自然に近い環境にした。自然に近い環境と言えば、家に誰もいなくなる時にも、モモちゃんがモモちゃんハウスの中で安心できるようにYoutubeで自然音を流しっぱなしにして出かけるようになった。木々のざわめき、小川のせせらぎ、虫の鳴き声、色々と試してみたのだが、その音を聞いてモモちゃんがハウスから出てきた事もなく、あの時のBGMが良かったよと言ってくれることもなかったので、どれがお好みだったのかは分からないままなのだが。ちなみにこのブログを書いている今はモモちゃんへの追悼ということで、モーツァルトのレクイエムを流している。
朝モモちゃんが食事をしたのか、水は飲んだのかを確認し、排泄物を片付け、夕方にリハビリを行い、夜になるとモモちゃんが動く音に耳を傾ける。週末になるとモモちゃんハウスを外に出して、玄関に水を撒いて、ブラシで掃き掃除を行う。そんな生活をしているとモモちゃんをリハビリに連れ出すときに最初は手袋をしていたのだが、段々と素手でモモちゃんをそっと連れ出すように変化をしてきた。人間側の意識が変化するとモモちゃんの意識も変化するのか、モモちゃんが来たばかりの頃玄関の扉を試しに開けておいた時があったのだが、その時にはいつもの活動時間になっても段ボールから出てこなかったモモちゃんが扉を開けておいたら、7月16日の夜にはリビングに入ってきて、テレビの裏側に入りコードに絡まったり、ソファに登って来て、そこから柱にジャンプしたり、階段を登って2階に行ったりするようになった。
そんなモモちゃんだからこそ、これは自然に帰すのではなくてこのまま家で飼おう、家族の一員として迎えようという話を7月17日の夜にしたばかりだったのに、7月18日の朝にモモちゃんハウスを覗いたら突然モモちゃんが天国へ旅立っていた。何が原因だったのかは分からない。そもそもモモちゃんが家に来る前に外傷はなくても怪我をしていたのが、突然病状となって現れたのかもしれないし、梅雨が明けて暑かったからかもしれない。ブルーハーツのチェインギャングの歌詞に「キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ」とあるが、モモちゃんももしかしたら6月8日に出会っていなければ、もっと元気に長生きできたかもしれないし、これまでの自分の罪がモモちゃんを死に追いやってしまったのかもしれない。
モモちゃんは自宅のすぐ近くに埋葬し、モモちゃんが埋まっている所に小さな墓石を置いた。これまでは朝モモちゃんにゼリーや水をやり、排泄物を片づけるのが日課だったが、これからはモモちゃんの墓石に水をやるのが日課になった。モモちゃんが来たばかりの頃にペットショップで買ってきた固形物の食事は1回やっただけで、そのまま残っている。ゼリーも何個か残っているのだが、捨ててしまうのもしのびないので、固形物の食事にしてもゼリーにしてもまだそのまま取ってある。そのままと言えば、玄関のドアを開ける時にも勢いよく開けるのではなく、モモちゃんが驚かないようにそっと、泥棒が空き巣に入るように入る癖はモモちゃんがいなくなってもそのまま習慣として残っている。きっとしばらくは自宅に入る際の姿を見たら空き巣に間違われるかもしれない。
以前包括支援センターで勤務していたので、人が天国へ旅立つのにはなれているつもりでいた。それが果たして良いことかは分からないが、それでもモモちゃんの突然の死には胸が抉られる思いをしたし、久しぶりに涙を流した。
この文章は自分へのグリーフケアだと思って書いている。自分の身近な人や大切に想っている人、可愛がっているペット、なんでも良いのだが、その人やペットが突然いなくなってしまっても、あの時こうしていれば、ああしていればと後悔しないように、生きている今から大切にしてもらいたい。
6月8日、自宅近くの道路を車で走っていると、車道に異物を発見した。大きな石のようにも見えたし、もしかしたら動物が轢かれているのかもしれない。徐行しながら脇をそっと通り過ぎたら、その異物はもぞもぞと動き出した。しかし車道から逃げるわけでもないその異物は、そのままにしていたら車に轢かれてしまうかもしれない。とりあえず近くにあったコンビニエンスストアの駐車場に車を停めて、その異物の確保に向かった。特に外傷があるわけでもない。ただドングリのようなつぶらな瞳をしたその異物はされるがままに私の両手の中でポカンとした顔をしていた。
それがモモちゃんとの出会いだった。
外傷はなくてもどこか怪我をしているかもしれないので、とりあえず自宅の玄関に段ボールでモモちゃんハウスを急造でこしらえた。何を食べるのかも分からないので、とりあえず水を小皿に入れて置いておいた。モモちゃんはしばらく段ボールから出てこなかったが、夜9時過ぎ頃に段ボールから出て来て、水を飲んだり、靴の上に可愛らしい排泄物を残したりしていた。この頃のモモちゃんは非常にシャイで、水を飲んだり、排泄物をしている姿を直接見たわけではない。翌朝になると小皿の水が減っているからモモちゃんが飲んだのだろう、靴の上に黒く小さな排泄物があるからモモちゃんの仕業だろうという想像に過ぎない。
人間にとって水分は必要不可欠だが、それだけでは生きれないように、モモちゃんも水分だけでは生きることは出来ない。元気になることも出来ない。そこでペットショップでモモちゃんに似た生き物の固形物の食事とゼリーを数種類買って来て、水の小皿の隣りに置いておいた。翌朝になるとゼリーはきれいになくなっていたが、固形物はあたりに散らばってはいたが、食べた形跡がない。ゼリーにも好き嫌いがあるようで、あるゼリーは食べるが、別のゼリーだと全く手を付けていない。
朝になって玄関の扉を開けて、モモちゃんがちゃんと食事をしたのかどうかを確認するのが日課になった。日課と言えば、モモちゃんが夜の間に玄関や棚にこっそりとしている排泄物を掃除するのも日課になった。更にはモモちゃんが元気になって自然に帰る時に困らないように夕方外で行う、自然に帰るためのリハビリも日課になった。
夕方、モモちゃんにリハビリやるよ、と声をかけてモモちゃんの住まいから連れ出そうとすると、モモちゃんは決まってイヤイヤをするような鳴き声を上げて、尻尾で顔を隠した。そんなモモちゃんを両手にそっと載せて外に連れ出すと、辺りをキョロキョロと見渡し、決まって同じルートを通りながら玄関前までチョコチョコと進んでいき、そこで大きい方の排泄物を出した。そこから家の周りを壁沿いに進みながら途中で小の排泄物を出した。それからはかくれんぼをするようにパイプの中に入っていこうとした。実際にパイプに入ってしまい、モモちゃんを脱出させるのにパイプを地面に地面から直角にして振っていたら、下から落ちるのではなくて、上から顔をひょっこりと出したこともあった。パイプの中で付いたであろうゴミが顔についているのを取るのをつぶらな瞳で見ていたこともあった。
そんな日々を過ごしながらモモちゃんは家族の一員になっていった。出かける時には段ボールに入っているモモちゃんへ行ってきますの言葉をかけるようにもなっていった。いたずら心とモモちゃんの姿を見たくてこっそりと段ボールの蓋を開けたら、モモちゃんがいない時があった。その時には玄関中をそれこそくまなく探して、絶対にモモちゃんが自分では開けないであろう玄関の収納スペースの扉の中まで捜索した。いよいよモモちゃんがいないと途方に暮れて、玄関にたまたま置いてあったサツマイモを入れている段ボールを開けたら、その隅にモモちゃんが隠れていた。辺りにはモモちゃんが齧ったサツマイモが散乱していた。その時からモモちゃんの食事は主食がサツマイモ、補助食としてゼリー、そして水分と決まった。
食事が決まったところで、モモちゃんの住まいも急造の段ボールから、靴を買う時に靴が入っている箱がたまたまあったので、その蓋の一部を切って出入りが出来るようにして、その中に小さなサツマイモを何個か入れて、衣食住を、いやモモちゃんは衣はないので食住が出来るようにした。日中はその中でジッとしており、夜9時過ぎになると動き出す。リビングでテレビを見ている時、ゲームをしている時、玄関からモモちゃんの動いている音がすると、テレビやゲームの音を小さくしてモモちゃんが出す音に耳を澄ませた。玄関が暗すぎないように月に見えるライトを設置して、少しでも自然に近い環境にした。自然に近い環境と言えば、家に誰もいなくなる時にも、モモちゃんがモモちゃんハウスの中で安心できるようにYoutubeで自然音を流しっぱなしにして出かけるようになった。木々のざわめき、小川のせせらぎ、虫の鳴き声、色々と試してみたのだが、その音を聞いてモモちゃんがハウスから出てきた事もなく、あの時のBGMが良かったよと言ってくれることもなかったので、どれがお好みだったのかは分からないままなのだが。ちなみにこのブログを書いている今はモモちゃんへの追悼ということで、モーツァルトのレクイエムを流している。
朝モモちゃんが食事をしたのか、水は飲んだのかを確認し、排泄物を片付け、夕方にリハビリを行い、夜になるとモモちゃんが動く音に耳を傾ける。週末になるとモモちゃんハウスを外に出して、玄関に水を撒いて、ブラシで掃き掃除を行う。そんな生活をしているとモモちゃんをリハビリに連れ出すときに最初は手袋をしていたのだが、段々と素手でモモちゃんをそっと連れ出すように変化をしてきた。人間側の意識が変化するとモモちゃんの意識も変化するのか、モモちゃんが来たばかりの頃玄関の扉を試しに開けておいた時があったのだが、その時にはいつもの活動時間になっても段ボールから出てこなかったモモちゃんが扉を開けておいたら、7月16日の夜にはリビングに入ってきて、テレビの裏側に入りコードに絡まったり、ソファに登って来て、そこから柱にジャンプしたり、階段を登って2階に行ったりするようになった。
そんなモモちゃんだからこそ、これは自然に帰すのではなくてこのまま家で飼おう、家族の一員として迎えようという話を7月17日の夜にしたばかりだったのに、7月18日の朝にモモちゃんハウスを覗いたら突然モモちゃんが天国へ旅立っていた。何が原因だったのかは分からない。そもそもモモちゃんが家に来る前に外傷はなくても怪我をしていたのが、突然病状となって現れたのかもしれないし、梅雨が明けて暑かったからかもしれない。ブルーハーツのチェインギャングの歌詞に「キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ」とあるが、モモちゃんももしかしたら6月8日に出会っていなければ、もっと元気に長生きできたかもしれないし、これまでの自分の罪がモモちゃんを死に追いやってしまったのかもしれない。
モモちゃんは自宅のすぐ近くに埋葬し、モモちゃんが埋まっている所に小さな墓石を置いた。これまでは朝モモちゃんにゼリーや水をやり、排泄物を片づけるのが日課だったが、これからはモモちゃんの墓石に水をやるのが日課になった。モモちゃんが来たばかりの頃にペットショップで買ってきた固形物の食事は1回やっただけで、そのまま残っている。ゼリーも何個か残っているのだが、捨ててしまうのもしのびないので、固形物の食事にしてもゼリーにしてもまだそのまま取ってある。そのままと言えば、玄関のドアを開ける時にも勢いよく開けるのではなく、モモちゃんが驚かないようにそっと、泥棒が空き巣に入るように入る癖はモモちゃんがいなくなってもそのまま習慣として残っている。きっとしばらくは自宅に入る際の姿を見たら空き巣に間違われるかもしれない。
以前包括支援センターで勤務していたので、人が天国へ旅立つのにはなれているつもりでいた。それが果たして良いことかは分からないが、それでもモモちゃんの突然の死には胸が抉られる思いをしたし、久しぶりに涙を流した。
この文章は自分へのグリーフケアだと思って書いている。自分の身近な人や大切に想っている人、可愛がっているペット、なんでも良いのだが、その人やペットが突然いなくなってしまっても、あの時こうしていれば、ああしていればと後悔しないように、生きている今から大切にしてもらいたい。