最近は晴れの日が続いています。
自宅から玄関の扉を開けて、坂を少し上ると安達太良山が顔を出しますが、見られて恥ずかしいのか赤色に染まっています。
そんな11月4日、一般社団法人ちろる主催で二本松市にある復興公営住宅表団地集会所において、新そば祭りを開催しました。
集会所に到着して、中にあいさつに顔を出すとテンプラの芳醇な香りが集会所内を満たしていました。表団地女子会の(一部女子じゃない人も含む)皆様が今日の新そばとセットで食べるためにテンプラを揚げてくださっていました。
今日はそばの腕前3段の大玉村在住の武田先生に来ていただいております。
先生はシンクやら茹で一式の準備を外でしています。ここで青空蕎麦屋を開けるんじゃないかというぐらいに準備の良さです。
さっそく先生に蕎麦を打ってもらいます。最初は先生が蕎麦打ちの一連の流れを解説付きで通して行ってくださいました。先生の所作は流れるようにスムーズで、料理上手な人が押しなべてそうであるかのように、手際が良く打ち粉が飛び散ったりすることもなく、常に綺麗な状態で蕎麦打ちが進んでいきます。
先生から一通りの流れを教えて頂いた後には、
参加者も先生からのレクチャーを受けながら蕎麦打ちの体験を行ったのですが、例えば「のし棒を猫の手で撫でるように押して練ったそば粉を伸ばす」文言化するとそれだけの事なのですが、この猫の手で撫でるようにというのがなかなか出来ません。蕎麦がいつまでも伸びていきません。動きも付き合いたてのカップルのようにぎこちなくなってしまいます。
というわけで、見るに見かねた先生が伸ばして畳んで、
蕎麦を切るのも体験させて頂いたのですが、これまた包丁を持たない手をぐわし(ぐわしがどのぐらい通じるかは分かりませんが、切り体験をした方々の中では通じているようでした)の形にして、包丁を前に押し出すように入れて、次に切る太さに横に傾けてまた包丁を下す、
この動作が難しいです。でもこれが出来ないと蕎麦の太さが均一になりません。これまで包丁を握った事のない人の料理教室初日のようなぎこちない包丁さばきになってしまいますが、いかんせん普通に生活をしていれば、なかなか蕎麦を切る機会もなければ、蕎麦包丁を持つ機会もありません。
最終的には先生がアップテンポのメトロノームみたいな速度で蕎麦を切ってくださいました。
切った蕎麦を茹でるのですが、これも茹ですぎは厳禁です。先生は本日は50秒の茹で、その後水で滑りをとって、冷水でしめる。そうすることによって強いこしが生まれるそうです。
表団地女性部の皆さんが作ってくれたテンプラの準備も出来上がりました。サツマイモや春菊、パプリカ、かぼちゃなど緑や赤、黄色、そして紫などが薄衣をまとって、早く口に運ばれるのを待っています。
蕎麦も打ちたて、切りたて、茹でたてが一番美味しいと言われる鮮度が命の食品ですから、美味しいものを美味しく頂くために、
参加者全員で乾杯をして、さっそくいただきました。
本当は蕎麦を口に運んで笑顔になっている写真を掲載したかったのですが、私の腕が未熟なもので撮ってきた写真を4回ぐらい通して確認したのですが、そんな写真はなかったとです。
でも本日の参加者アンケートには「もし先生が蕎麦屋を開いたら常連になりたい」「こしがあって最高だった」等のメッセージが書いてありましたから、満足して下さったのだと思います。
蕎麦をお腹いっぱいに食べた後には、
参加者全員での豪華景品をかけてのじゃんけん大会。景品がかかっていると盛り上がりも違えば、じゃんけんの手を挙げる角度も違ってきます。50肩で腕が上がらないなんていう人も豪華景品をかけたじゃんけん大会に参加すれば、もしかしたら完治するかもしれません。
本日蕎麦の先生をしてくださった武田先生は美味しいお米も作っていらっしゃって、食に関するレオナルド・ダ・ヴィンチのような万能選手なのですが、その武田先生がお作りになっているお米が景品で出ているわけですから、参加者も真剣です。
本日の新そば祭りは表団地の集会所で実施しましたが、参加者は表団地の方ばかりではなく、他の団地の方や民間借り上げの方、二本松の地元住民が子どもを連れて来てくれたりと多くの参加がありました。
このように特定の決まった人だけ、とか団地内のとかの横の連携をいかに図っていくかを模索するための時期はすでに過ぎて、団地と他の団地、団地と地元の人などよりマクロな視点をもって、多くの方に参加してもらえるような事業を実施していかねばと改めて思いました。
そしてなにより今日一番悲しかったのは武田先生には大目に蕎麦を打ってもらったのですが、参加者が多く私の食べる分がなかった、というのが心残りです。でも多くの参加者の満足げなお顔も拝見できたので、それが私のアナザースカイ、じゃなくて心を満たしてくれました。
自宅から玄関の扉を開けて、坂を少し上ると安達太良山が顔を出しますが、見られて恥ずかしいのか赤色に染まっています。
そんな11月4日、一般社団法人ちろる主催で二本松市にある復興公営住宅表団地集会所において、新そば祭りを開催しました。
集会所に到着して、中にあいさつに顔を出すとテンプラの芳醇な香りが集会所内を満たしていました。表団地女子会の(一部女子じゃない人も含む)皆様が今日の新そばとセットで食べるためにテンプラを揚げてくださっていました。
今日はそばの腕前3段の大玉村在住の武田先生に来ていただいております。
先生はシンクやら茹で一式の準備を外でしています。ここで青空蕎麦屋を開けるんじゃないかというぐらいに準備の良さです。
さっそく先生に蕎麦を打ってもらいます。最初は先生が蕎麦打ちの一連の流れを解説付きで通して行ってくださいました。先生の所作は流れるようにスムーズで、料理上手な人が押しなべてそうであるかのように、手際が良く打ち粉が飛び散ったりすることもなく、常に綺麗な状態で蕎麦打ちが進んでいきます。
先生から一通りの流れを教えて頂いた後には、
参加者も先生からのレクチャーを受けながら蕎麦打ちの体験を行ったのですが、例えば「のし棒を猫の手で撫でるように押して練ったそば粉を伸ばす」文言化するとそれだけの事なのですが、この猫の手で撫でるようにというのがなかなか出来ません。蕎麦がいつまでも伸びていきません。動きも付き合いたてのカップルのようにぎこちなくなってしまいます。
というわけで、見るに見かねた先生が伸ばして畳んで、
蕎麦を切るのも体験させて頂いたのですが、これまた包丁を持たない手をぐわし(ぐわしがどのぐらい通じるかは分かりませんが、切り体験をした方々の中では通じているようでした)の形にして、包丁を前に押し出すように入れて、次に切る太さに横に傾けてまた包丁を下す、
この動作が難しいです。でもこれが出来ないと蕎麦の太さが均一になりません。これまで包丁を握った事のない人の料理教室初日のようなぎこちない包丁さばきになってしまいますが、いかんせん普通に生活をしていれば、なかなか蕎麦を切る機会もなければ、蕎麦包丁を持つ機会もありません。
最終的には先生がアップテンポのメトロノームみたいな速度で蕎麦を切ってくださいました。
切った蕎麦を茹でるのですが、これも茹ですぎは厳禁です。先生は本日は50秒の茹で、その後水で滑りをとって、冷水でしめる。そうすることによって強いこしが生まれるそうです。
表団地女性部の皆さんが作ってくれたテンプラの準備も出来上がりました。サツマイモや春菊、パプリカ、かぼちゃなど緑や赤、黄色、そして紫などが薄衣をまとって、早く口に運ばれるのを待っています。
蕎麦も打ちたて、切りたて、茹でたてが一番美味しいと言われる鮮度が命の食品ですから、美味しいものを美味しく頂くために、
参加者全員で乾杯をして、さっそくいただきました。
本当は蕎麦を口に運んで笑顔になっている写真を掲載したかったのですが、私の腕が未熟なもので撮ってきた写真を4回ぐらい通して確認したのですが、そんな写真はなかったとです。
でも本日の参加者アンケートには「もし先生が蕎麦屋を開いたら常連になりたい」「こしがあって最高だった」等のメッセージが書いてありましたから、満足して下さったのだと思います。
蕎麦をお腹いっぱいに食べた後には、
参加者全員での豪華景品をかけてのじゃんけん大会。景品がかかっていると盛り上がりも違えば、じゃんけんの手を挙げる角度も違ってきます。50肩で腕が上がらないなんていう人も豪華景品をかけたじゃんけん大会に参加すれば、もしかしたら完治するかもしれません。
本日蕎麦の先生をしてくださった武田先生は美味しいお米も作っていらっしゃって、食に関するレオナルド・ダ・ヴィンチのような万能選手なのですが、その武田先生がお作りになっているお米が景品で出ているわけですから、参加者も真剣です。
本日の新そば祭りは表団地の集会所で実施しましたが、参加者は表団地の方ばかりではなく、他の団地の方や民間借り上げの方、二本松の地元住民が子どもを連れて来てくれたりと多くの参加がありました。
このように特定の決まった人だけ、とか団地内のとかの横の連携をいかに図っていくかを模索するための時期はすでに過ぎて、団地と他の団地、団地と地元の人などよりマクロな視点をもって、多くの方に参加してもらえるような事業を実施していかねばと改めて思いました。
そしてなにより今日一番悲しかったのは武田先生には大目に蕎麦を打ってもらったのですが、参加者が多く私の食べる分がなかった、というのが心残りです。でも多くの参加者の満足げなお顔も拝見できたので、それが私のアナザースカイ、じゃなくて心を満たしてくれました。