ここ数日テレビを見ても、新聞を読んでも、ラジオを聴いても、ネットブラウザのトップページを開いても飛び込んでくるのは「東日本大震災から11年」という言葉です。
未曽有の大災害からもう11年も経ったんだな、という気持ちの方もいるでしょうし、まだ11年しか経っていないのか、という方もいらっしゃると思います。私はどちらかと言えばもう11年も経ったんだなと感じております。
地震が発生した時には各市町村に1つはある地域福祉を推進する職場で仕事をしておりまして、ちょうど市町村の取りまとめをする団体の建物にいて、研修真っ最中でした。その建物は決して新しいとは言えないような建物だったので、地震の揺れが始まった時にはこの建物は崩れてしまうのではないかしら、なんて考えたものです。研修は中途解散となり、職場まで帰ることになったのですが、いつも帰っている4号国道は信号が止まっており、大渋滞。これではいつになったら帰れるか分からないという事で、山道を帰ることにしたのですが、道路が所々陥没しており、通常であれば1時間もかからない道のりを2時間以上かけて帰りました。
地元についてもやはり信号は止まっており、どの家の明かりもついていません。もちろん職場の明かりもです。明かりがない中で、自治体で被災者を受け入れることになり、職場が避難所になることが決まりその準備をしたり、その計画が変更になって地域の集会施設が避難所になることになり、そこに定期的に食糧を持って行ったり、全国から届けられる支援物資の仕分けをして避難所に運んだり、村内外のボランティアの受け入れ、活動の調整をしているうちに、慌ただしく数週間が過ぎました。
水道や電気は数日で復旧しましたが、ガソリンは不足して、〇〇ガソリンスタンドにガソリンが入るらしいという情報が入ると車が超人気店のドライブスルーか、というぐらいに行列を作っていたこともありました。
その年、ですから2011年の夏から福岡県からボランティアに何年も来てくれていた方がいらっしゃいました。震災直後は様々な方がボランティアに来てくれましたが、ボランティア活動が何年にも渡ってという方は珍しく、しかも毎年福岡から福島まで来てくれるとなるとなかなかマネできることではありません。
福島に来ると避難所になっている集会所を回り、灯明という
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こんな感じの紙を切って、誰でも思い思いのデザインが出来るのが灯明の魅力です。
これを各避難所で避難者の方と一緒に作り、それを福島県の自然と親しむ安達太良山の中腹にある施設で点灯式を行い、色々な避難所で生活をしていて、場所は離れていても心は一つだよ、というイベントから始まり、その方が福岡で先生をしていらっしゃるので、翌年は生徒さんが作ってくれた灯明を持参してくださり、また避難所や仮設住宅の集会所を回り、灯明を作り、福岡と福島の場所は離れていても心は繋がっているよ、といったイベントに発展していきました。
その先生から今年また灯明でつながるイベントをやりたいという話がありました。
ただコロナ禍ということもあり、実際に場所の行き来は出来ないのでオンラインでの灯明イベントです。
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「この印籠が目に入らぬか」
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一同「へへー。私が悪うございました」
とやっているシーンではありません。
3月10日に福島県二本松市にあります若宮団地集会所で実施したちろる学校図工の時間の参加者の皆さんです。
そして最初の写真の印籠にみえるのはスマホでラインのビデオ通話で福岡の先生(いつまでも福岡の先生だと長いので、以下先生だけで進めていきます)と繋いでいます。ですので、スマホの画面をよく見てみると先生が映っています。
今日の図工の時間では参加者の皆さんと一緒に灯明を作ろうという事で、先生から
・灯明って何
・なんでこの時期に灯明を作るのか
・灯明の作り方
などについての説明を受けた後に、実際に作成開始です。
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灯明は紙袋を2枚重ねて作り、その外側の紙を好きな形、写真に写っているのだとハートやダイヤのデザインに切って、その中にろうそくを入れて明かりを灯せば完成です。
というわけで、
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参加者の皆さんそれぞれがあれから11年に思いを馳せながら、
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灯明を作っていきます。今回の図工の時間には大学生も参加してくれたので、大学生も一緒に灯明づくりをしています。
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だんだんと皆さんの灯明が出来上がってきました。
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この灯明を3月11日の夜に灯して、様々なことを思い出したりするきっかけになればと思います。
そして11年が経過して、参加者の皆さんが和気あいあいと笑顔で灯明を作れるようになったというところに、確かなつながりを感じました。