今回は少しまじめな内容なので、前置きはないです。
私どもの法人、一般社団法人ちろるでは令和4年度途中から福島県から「生活困窮者支援活動緊急助成事業」の補助金を受けて、物価高だったり、新型コロナウイルスの長期化だったり、理由は様々ですが生活が大変な方に対してよろず相談所という事業を行っています。
よろず相談所だけではどんな事業内容なのか伝わりにくいと思いますので、説明をさせていただきますと、生活が大変とか色々な悩みを抱えている世帯ほど行政や社会福祉協議会のいわゆるどこの市町村にもあって、相談を受け付けている窓口に対して敷居の高さを感じてしまって、相談に行くことが出来ない。相談に行けない、つまりSOSを発信できないのでもっと困ったことになってしまう世帯が少なくないという事がある認定NPOの調査で明らかになったので、それならもっと気軽に、敷居の高さを感じることなく相談出来る、もしくは心に抱えているものを吐き出すだけで心が軽くなれる場所として、アウトリーチ型の相談所を開設しようという事業です。
そのよろず相談所に相談に来てくれた方をAさんとします。
Aさんは女性で、お子さんと二人暮らしです。Aさんはとある精神の病気があるのですが仕事もしていますし、育児もしています。ただ精神の病気があるために食器洗いや掃除、ゴミ出しなどをしなくてはいけないとは分かっていても、やる気スイッチがなかなか入らず、やらなくてはいけないと思っていても、出来ない自分とのギャップがあり、その理想と現実の違いに不安になってしまっています。
また仕事に対しても行かなくちゃという思いはあっても、なかなかやる気スイッチが入らず(もしくは自分でもスイッチの場所がどこにあるのか分からない、もしくは病気ではない人と比べると見つけにくい)仕事も休みがちです。でもAさんは元来しっかりした方なので、行かなくてはいけないと分かっていても行けていない自分に対しても不安を感じています。
ですから、Aさんにお世話になっている主治医の先生に意見書を書いてもらえるならば、精神障害者手帳を取得して、家事でやろうと思っていても出来ない所は手伝ってもらって、不安を少しずつ減らしていくようにしてはどうかと伝えました。もちろん精神障害者手帳を持つことによってのメリット、デメリット(デメリットはほとんどないですけど)もお話した上で、Aさんには納得してもらって進めています。Aさんが主治医の先生に自分で話すのが難しい場合には自分も同席することを伝えたのですが、Aさんは自分一人で大丈夫ですとの事でした。
数日後Aさんから電話があり、「先生に話したら主治医意見書を書きますよ」との返答があったという事だったので、次のステップとして行政機関の窓口に行って精神障害者手帳の申請書類をもらうのですが、これも一人では不安ならば同行する事を伝えたのですが、一人で行ってみるので大丈夫との事でした。
それからしばらくAさんからの連絡がありませんでした。心配になったのですが、こちらから連絡してしまうと促したり、催促してるみたいになってしまっては良くないと思って控えていたのですが、3週間程度経過した後にAさんから連絡がありました。
行政の窓口に行ったら、今の状況なら生活保護を受けることが出来るかもしれないので、社会福祉協議会にも関わってもらうようにしましょう、という話があったとの事でした。その後社会福祉協議会の担当者から「この場所ならば車を所持していても生活保護の申請が出来るかもしれないので、申請を進めてみましょう」と言われたとの事でした。しかしその後「やはりこの場所でも生活保護で車を難しいし、生活保護を受ける場合には住宅扶助で入居できる場所に引っ越しをしてもらうようになります」という話を受けて、「車を取り上げられては子どもの迎えにも行けないし、引っ越しをして生活環境が変わってしまったらより不安になる事も多くなる」という理由で申請を辞退することにしました。
誰だって目の前に希望の光をチラつかせられたら、その光に縋り付きたくなります。困っている状態であれば猶更でしょう。まして精神の病気中です。このことが原因でAさんは気分的に沈み込んでしまって体調を崩し、仕事も休みがち、子どもの面倒も以前よりも充分にみることが出来なくなってしまいました。
行政や社会福祉協議会はいったい何のためにあるのでしょうか。
その地域の住民に希望をチラつかせ、その後やっぱり駄目だったよ、と絶望に突き落とすためにいるのであれば、この話の登場人物は十分に役割を果たしていますが、SOSを発信してくれた人(困難な所にいる人が自分が困っているよ、とSOSを発するのは、それはすごい勇気のいる一歩だと思います)が安心して生活できるように時に支え、時に伴走するのが専門機関としての役割というものでしょう。
そもそもAさんが生活保護を受けることが出来るのであれば、最初の段階で私が提案しています。しかし以前の仕事の経験からAさんが住んでいる地域では車を所持していれば保護申請が通るのは難しいことは経験として知っていました。だからこそ精神の手帳をもらってAさんが今不安に感じている事を少しずつ減らしていけるようにしていたのに、一般的には専門機関と言われる介入によって、Aさんの気分が沈むことになって、余計な時間(これは本当に余計な時間ですよね。だってその間もAさんの不安は続いているうえに、更には沈み込むことになってしまったんですから)がかかるようになってしまいました。
上記の行政や社会福祉協議会の担当の発言はAさんから話を聞いていないので、事実かは分かりません。しかしAさんが私に伝えてくれたということはAさんの中の真実としては上記の通りのはずです。専門機関、って言っても行政の担当も数年で移動になるし、社会福祉協議会も単なる民間企業ですから、どこまで専門機関と言っていいのかは甚だ疑問ですが、それでもしっかりとSOSを受け取って、自分の発言が目の前にいる、もしくは電話の向こうにいる頼ってきてくれている方にとって、どのような影響を及ぼすのかをしっかりと今一度見つめなおしてもらいたいと思います。
それはもちろん行政や社会福祉協議会だけではなく、私もですけれども。

というわけで、このブログはOasisのWhateverを聴きながら書きましたが、この曲の歌詞のように
I'm free to be whatever(俺は好きに生きるぜ)
I'm free to say  whatever(俺は何を言ってもいいんだ)
Whatever I like if it's wrong or right, It's alright(気に入ったなら後はどうだっていいんだ)
ぐらいに日々過ごしてみたいものです。